
今日も人生を見つめるためのキーワードをいくつか書き記していこうと思います。
今日はタイトルにもあるように、
人生における自分自身のオリジナリティ(独創性、我が道)とそれを表現する場であるリアリティ(現実)
をテーマに話を進めていきます。
誰かについていく時代の終わり
物質的な成功にだけ目を向けているならば、誰かの成功体験をマネて、同じルート、レールのひかれた道を歩むことが最短距離でしょう。
実際、いま私たちが悩み、不安になっている感情は、過去の先人たちも思い悩んだという記録も書物などに残っています。
時に、他人の生き方を参考にすることは重要視されますが、情報過多の現代において、参考対象の多さがあなた自身の人間的なオリジナリティを覆い隠し、あなたの独自性が表現できなくなってしまうことも懸念されます。
崇拝もなく、遠ざけるでもなく、あなたの人生の登場人物として中庸的立ち位置で他人も物事も捉えることが重要です。
表現者であれ
あたしは常に表現者であることを重要視している。
AI時代に2000字~1万字程度の記事なら自動的にものの数十秒で生成される現代。
表現者でありたいという心からの叫びとともに、表現に自身のオリジナリティやエネルギーを乗せることにしか、人間が生きる手立てはないのではないかとも思っている。
そんな追いやられた窮地の状態の現代、わたしは表現者であり続けることが最も重要な要素だと思っている。
現実を生きることです。今この瞬間。空間も時間も制約のあるこの地球の中で、何を表現するか、脳だけではなく身体全体、精神全体を駆使して、わたしは表現者でありたいと思っている。
我が道を歩む。レールを創る
誰に理解されようとも思うことはない。わたしは本人の道を歩むことを望む。
他人はゲームでいういわばNPCのような存在だ。決まった法則であなたの前に存在する。しかしリスペクトは重要だ。彼らに意識があるかないかは実証できないからだ。
だからこそ、このよくわからない現実を演じ、周囲との調和を図りながら、狂ったように表現を続けていくことだ。
わたしには、「わたしがいる」という意識がある。「わたしがいるからあなたがいる」
「あなたがいるからわたしがいる」ではない。
人生の主導権を他者に提供してはいけない。
極める。そして普通を終わらせる。
徹底した表現者としての在り方の中で、大きな事柄に関してエネルギーを注ぐことに意識が向きがちになるが、重要なことは小さな普通や当たり前に気づき修正することだ。
「目の前にある小さな当たり前を極める」ことこそが、リアリティを輝かせることだと思っている。
たとえば、わたしならこの記事を書くことだ。
正直頭を使っていない。指が勝手に動き、脳は文字の修正や構成などにのみ使われ、内容などは身体が反射的にキーボードを鳴らしている。
徹底した表現者は物事の大小にこだわりを持たなくなる。
大きな夢物語に足がすくむのは、あなたのリアリティに存在しないからだ。
まずは目の前の現実に現れるものを極めること。そこから表現の世界は開かれる。
